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偏食


私の食生活は偏っている。

実家が破綻するまでは普通に家族で食卓を囲み、母が作ってくれた食事を食べていた。
おやつは母手作りのものが多かった。
子どもが好むポテトチップやジャンクフード類はあまり家に置いてなかったので、とても憧れていた(食べてない訳ではなかったが)。
高校生からダイエットに興味を持ったので食事量は若干少なめ程度だったが、それもノーマル程度のものだった。

家族が崩壊したり、自分も社会人で一人暮らしを始めた頃から、食生活が偏って乱れていった。
もともと食事に興味がなかったのだろう、お腹が空いたら自分の食べたいものだけを食べられれば大満足だった。
なので社会人で一人暮らしになり、自分のお金で食べたいものを買って帰るようになった。
結婚するまで食事を作るなんてことはしなかった。

その「食べたいものだけ食べる」という食事とは、

独身時代平日は帰宅すると21時前後が普通だった。
閉店前に間に合えばいつものチェーンのケーキ屋でケーキを買って帰り、それが夕飯と翌日の朝食。
間に合わなければコンビニで甘いものなどのお菓子類を買って夕食はそれをつまむ、そして朝も。
食費(ケーキ代ほか)が嵩みすぎているなあと思うと、家でご飯を炊いて白ゴマをいっぱいかけて食べるのが大好きだった。
まれに気分で買ったりする焼きそば麺があれば、それを醤油で味付けしただけで食べるのが(肉野菜なし)大好きだった。
それで大満足だったので、そんなメニューの繰り返しを何年もしていた。

働いている平日の昼食は、同僚たちと職場で食べるのが常だった。
昼食は職場近くのコンビニで、おにぎり1個とコロッケ1個がお気に入りで毎日同じものを何年も食べていた。
それが好きなのだから迷うも何もない。
一緒に食べている同僚たちはいつも同じメニューなことに驚かれていた。

平日も休日も同じメニューを繰り返すことになんの疑問もなかった、だって大好きなものだから。
逆にそれを崩されるのは嫌だった。

例えば職場でたまにはランチ食べに行こうなんて話になると、「内心嫌だなあ、いつものおにぎりがいい」と思いつつ、人間関係は崩したくないので、嫌々参加していた。
美味しい料理なのに、味の問題ではなく、いつもの日常の味が変化するのが嫌だった。

ケーキ(安いコンビニケーキでもチェーンのケーキでオッケー)
ジャンクフードでも食べられるものは昔から決まっていてそれ以外は食べられない。
ポテトチップ塩味のみ、お煎餅は醤油かサラダ味のみオッケーでそれ以外の味は無理だ。

カップ麺、カップスープ、スープの素などはすべての味がダメで、人が食べた後の匂いもだめ。
これは小さい頃からダメだったと思う。食べた記憶がない。
人口調味料が一切ダメという(イメージ)のではなく(全てに入っているし食べてる)、ただこだわりがあるだけ。

こだわりを少しこじらせたような、偏食です。
今でも。




# by akisaku1231 | 2019-12-25 14:15 | 私の生育、環境 | Comments(0)

出産



男の子を出産した。natsukiだ。
自分の体が自分でないような妊娠期間が終了したが、いま振り返ると相当パニクっていた自分だった。
それは強迫性障害が強く出るようになっていた(これも後から考えてそうだったのかと気がつく)。


母にとって初孫にあたり、入院中のお見舞い時間帯になるとすぐに来てくれた。
母のまず一言目が
「赤ちゃんの顔を見てママが何を思ったと思う? あー、もう自分は出産できないんだってことを思い知らされたわ」
おめでとうよりも先にこの感想は、母らしい。



母が離婚し、不倫相手と別れた頃から、そして結婚出産した私に対して
「あら、akiraちゃん痩せた?」
このセリフは私の健康を気にしての言葉ではない。
「ママよりも細くなったんじゃない? 嫌だわ、ママ太っちゃった。akiraちゃんもうちょっと太った方がいいわよ」
などなど、母は自分よりも私が痩せて見えたりすると嫌なのだということを言葉にする。

母が私や妹に対して愛情はあるし大切に思ってくれていることは理解している。
でも母の特性が優ってしまう時、周囲は傷つき振り回される。




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# by akisaku1231 | 2019-08-29 20:11 | 私の生育、環境 | Comments(0)

妊娠



私が結婚退職後、妊娠したため、専業主婦となった。
母とは自分の精神安定のため、できるだけ会う機会を少なくしていた。

それまでの経緯と結婚前後の母の異様な態度に悩まされていたけど、
やはり母の呪縛(自己嫌悪に陥れるようにされる言動により)からは逃れられていなかった。



妊娠がわかった時から母には妊娠出産子育てには一切手伝ってもらわず夫婦二人で頑張ろうというのは二人で決めていた。
母のこと(私の両親のこと)は、夫には付き合っている時からずっと相談済みだった。
私が相談していたことを、夫は初めて体現して本当に驚いていた。
手伝いなんて必要ないと断っているのに、数回アパートに(妊娠中)来てしまわれた時に起こったことだった。

切迫早産のため入院したりと絶対安静の時期があったので、
母は心配と称してアパートに数回来た。(以下はその時のこと)




夫が全て家事や身の回り(私)をしてくれていたので、母のお手伝いは必要なかったし、
お手伝いしてもらいたくもなかった。

それでも母は「何でもしてあげるわよ。掃除もどこでもするわよ」と押しかけて来た。
安静が必要な時期は、私も室内の掃除など完璧に行き届くはずもなく、夫も普通に生活できる程度の掃除をしてくれていた。

母はその状況を「まあ、ここにも埃が。こんなに汚くしていて気持ち悪い。」
「いくら妊娠して安静と言われているとはいえ専業主婦なのに、こんな状態は夫くんに申し訳ないでしょ」という母。
切迫早産で絶対安静で入院していた後は家事は最小限にしてゆっくり休まないとすぐにお腹が張ってしまうということを何度言ってもわからない。
来ても何もしないでいいと言っているのに勝手にやり出す母。

とにかく母は私の至らないところを夫の前で指摘した。

「夫くんに何を食べさせているの?」
「ちゃんとお肉をいっぱい食べさせてあげてる?」
「栄養のあるものを考えているの?」
「お肉、ステーキを食べさせてあげなきゃ、男の人は」

「今日の夕飯のメニューは何なの?」
煮物やおひたし、お魚、常備菜、お味噌汁のとき、ちょっと渋目のメニューの時。

母は「ダメじゃない。かわいそうに。こんな貧弱なメニューじゃかわいそう」
何でも「夫くん、かわいそう」を連発する。
私が考えたメニューは全て母は否定だった。


結婚後、母は夫の前で、猫なで声で夫を褒め称えるようになった。
洋服、仕事、立ち居振る舞い、とにかく夫のこと全てだ。
そして私のことは夫の前で「何もできない子で申し訳ない」「あんなこともできなくて」と蔑んだ。

「夫くん、こんな食事で物足りないんじゃない?かわいそうに」
「私はいつもakiraちゃんに言っているのだけどね、夫くんがこれじゃかわいそうよと」
「本当にかわいそうに」と。
自分だったら(母)もっと美味しいものを作れるから、作ってあげようか?という流れになるように。
(当然だが断った)

うまく伝えられないが自分の母親がまさか娘の夫に猫なで声を出す(=態度)ことにびっくりだった。


妊娠中に、義弟が少し顔を見せにきてくれた際、たまたま母がアパートに来ていた。
そうすると母は「まあ、いらっしゃい。こんな汚い片付いていないところでごめんなさいね」
「どうぞどうぞいらっしゃい」
「結婚式以来ですわね」
「こちらでお茶を入れますからお坐りになって。」
「お紅茶がお好きかしら?それともおコーヒー?どちらがいいかしら?」
「お菓子は何かあったかしら」

などと、まるで自分の家のように、自分が夫の妻のように、自分の家であるかのようにはしゃいで主婦の真似事をしていた。

その様子を見て私は吐き気をもよおすくらい嫌なものを見たと思った。
母が女を出しているのだと。


私が結婚という環境が変わったことで、新たな母の嫌な面を見てしまった。
もうこれ以上、私の大切なものに関わって欲しくないという気持ちでいっぱいだった。



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# by akisaku1231 | 2019-08-28 19:43 | 私の生育、環境 | Comments(0)

結婚



こんな私がパートナー( 夫)と出会えたのは偶然と幸運だったと思う。
年月を重ねれば重ねるほど増していく大好きな気持ち、
そして私と一緒に家族を作ってくれた一番大事な人だ(惚気です)。

子どもの頃から結婚について願望や希望は全くなかった。
学生時代の友人たちは結婚が決まった時「akiraは絶対結婚なんかしないって言ってたよね!」なんてからかってきたぐらいだ。
更に自分の子どもは作りたくないと思っていた。

夫と出会ってからは考え方が一変した。
結婚を決め、夫の子どもを産みたいと変化した。
自分の大切な家族を作りたいと心から思った。
子どもはできれば男の子がいいと望んだ。
母と私の関係、自分の性格生い立ちなどから、女の子の親になるなんて想像がつかなかったからだ。

出産するまでお腹の子が男女どちらなのかはドクターに一切聞かなかった。
そして生まれたのは待望の男の子だった。

結婚、退職、無職(専業主婦)、妊娠、出産と、生活スタイルが刻々と変化していった。
その中で自分は少しずつ強迫性障害(以前書いた)の行動をとるようになっていった。



結婚が決まってから夫の家族親戚など詳しく聞くことになり、私が育ってきた環境とは正反対だと知る。
母は結婚が決まったことはもちろん喜んでくれたが、そういう詳しい背景を知ると、おかしいほど舞い上がりまくった。
親戚中に自慢、なぜか自分の将来は安泰だと言わんばかりだった。
まるで自分の結婚相手が見つかったかのように見えた。

実家(親)が破綻している自分に結納や結婚式は必要なかったが、義両親がきちんとした方がいいとのことで行うことに決まった。
もちろん結納や結婚式など全てにおいて私側の金銭面は自分の貯金を使った。
母はお金のことは一切何も聞いてこなかったし、私もどれだけの金額になるのかも一切話さなかった。

結婚することになったと母に報告して以降、私に会うたび電話するたびにいった。
「離婚しちゃっててごめんね」
「離婚している親だと破談とかになったらどうしよう」
「ママのせいだわ。ごめんね」
「どうしよう、akiraちゃんがママの離婚のせいで破談になったら。ごめんね」
「でもねママ離婚した時、姓は元夫の姓のままにしておいたのよ。
この時のためにね。akiraちゃんと同じだからおかしくないでしょ(結婚式の時などで)。」
「ちゃんとママも考えていたのよ」

母は「ごめんね」を繰り返し言うたびに、母は私に「大丈夫だよ、そんなことない」と言わせたがった。
親が離婚していることを恥とも思っていないし、そもそも親のことは切り離した考えを持っている自分だった。
だから母がわざとらしくそう言ってくることが煩わしく嫌だった。
「親が離婚していることを気にする相手を自分は選ばないから」と冷たく言い放っても聞く耳も持たず、母は結婚式直前まで言い続けた。
結婚式に自分が出席できると確信を持ってからは全く言わなくなった。

結納は母が出席する(母の強い願い)ことになった。
母は自分が結婚する際、結納はしていないので結納の意味など全くわかっていなかったし、費用も一切私に聞くことはなかった。
いつも通り自分の着ていく服装ばかり気にしていた。
当日も母だけがハイテンションで一人で話しまくっていた。いつもの通りお上品なマダムを装い周囲がドン引きするようなことを言っていた。


こんな性格の私でも結婚式には父と母に出席してもらえたらと当初思っていた。
自分の視野の狭さや常識がない中、普通(ドラマや小説などから)親というものは娘のウエディング姿(結婚式)を見たいという気持ちを持つものだと思い込んでいたのだ。
父に結婚の報告しがてら式出席のことをお願いしてみると、母が出席することに激怒した。

「浮気した女、裏切って離婚した女が結婚式に出席するのは世間的におかしい」
「父のパートナー(再婚相手)がお前の母として出席するのが当然だ。そのように振る舞うのが子としての常識だ」
「パートナー(再婚相手)のことを母と思っていないのか」
「母親として振る舞うのはパートナーだけだ」
「母が出席する式なんて絶対に行かない」
「母の顔も見たくない」
「もし母が出席するなら自分は一切かかわらない(私の夫の親族と)」
「父か母を選べ。どちらかしかない」

当時の私はその頃にはもう母の性格に嫌気がさしていたが、それでもまだ母を見捨てるような気持ちには至っていなかった。
母の本性を理解していなくてまだまだ振り回されていた。
だから母がどうしても出席したいと泣きながら毎回話してくることに多少の同情心が残っていた。
母は「父や再婚相手がいても自分は構わない」「自分は末席でもいい」という悲劇のヒロインのように話す母。
そもそも父にひどいことをしたのは母なのに。
今思うと実際に母の言うとおりにしたら、父と再婚相手に対し周囲に「自分(母)が被害者、裏切ったのは父たち」という父と再婚相手を悪者にする雰囲気を作り出しただろう。今ならひどい式になったことは想像できる。

現在はまだマシになっているとは思うが、自分自身がそもそも常識などわかっていない、痛い人間の側だった。
今思い返すと(毎回書いているが)、以前の自分の言動、行動が恥ずかしくてならない。
自分の結婚式もそうだ。
そういう自分だった。
結婚式への思いも相当独りよがりだった(当時はそうは思っていなかった)と振り返る。

父からそのような態度を取られ、私は悲しかった。
一般常識とかはひとまず置いておいて、娘である自分の結婚式に親として(夫婦としては離婚していても)ひとめ見たいなあという気持ちを表して欲しかった。
例えば「娘の花嫁姿は見たいけど、やはり元妻には会いたくないから欠席する」でも全くよかったのだ。
親のことは自分とは切り離して考えていた自分なのに、こういう気持ちが残っていたのだ。
私も随分勝手な、甘ちゃんで未熟だったと思う。

父から、私の結婚が決まったことについて喜んでくれるという言葉や気持ちはなかった。
それよりも結婚式イベントについて母のことを話題にのぼらせることを口にしたことへの不快感、拒絶感がすごかった。

今振り返ると、それだけ母は父にひどいことをしたから、単純にもう二度と会いたくないという気持ちはわかる。


結局私は母を選び、父は一切かかわらなかった。
母を選んだのは間違いだったと思うし、両親欠席にする方法を選ぶべきだった。


結婚式までの月日はストレスからかどんどん体重が激減し体調が悪くなっていった。
休暇(新婚旅行)の行き先は海外を予定していたが体調が思わしくないため無理せず国内でゆっくりすることとなるほどだった。

親の離婚騒動に巻き込まれ、その後母の精神不安定に振り回されていた20歳代で初めて過呼吸となり救急車で搬送されること2回。
過呼吸という症状が出はじめていた、ストレスが原因だった。
それでも夫と付き合うようになり自分の心が安定しいたのでほとんど過呼吸を忘れていたのに、
結婚が決まって以降、体調不良とともにまた過呼吸の症状が出はじめる。

母の言動からによるストレスによるものと最近まで思っていたが、
この年齢になりやっと自分の許容量の狭さにも原因があったと思うようになってきた。
私の発達障害らしい?未熟な人格、性格から、一気に自分の生活や環境が変わること、人間関係が複雑になることのストレスも相応にあったと。



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# by akisaku1231 | 2019-06-17 23:03 | 私の生育、環境

父の再婚



父は離婚した当初、私には特段変化があったようには見えず、会社から帰宅後、簡単な料理を作りテレビを見ながら食べ寝るといったいつものルーティンだった。
私の平日は勤務先が遠かったため早朝に家を出て平均21時帰宅、休日はできるだけ家に居ないようにしていた。
そのため一緒に住んでいたが、それぞれの部屋で暮らしていたので父と話すこともなかった。

ある時から父が長電話をするようになったと気づく。
当時はうちはまだ家電話(線でつながっている)だった。
私も電話を使いたいし、かかってくる予定の電話もあったりするのに、父が1、2時間独占していることが日々多くなった。

家族とはほとんど会話しなかった父が楽しそうに長電話をし始めた。
付き合っている女性がいると聞き、父が嬉しそうにしている姿はホッとした。
その後、父は家よりも女性のマンションに滞在する日が増えていきほとんど帰宅しなくなっていった。

家に残ったのは私一人だった。

父はその女性と50歳代(父と同年齢)で再婚した。
その女性は芯の強い闊達な感じの、自営業の方だった。
父が興味を惹かれる女性の好みは「強さ」にあるのかなと感慨深い思いをした。
この二人はとても仲良しでいつも一緒に寄り添っていた。
私が知っている父とはまるで別人になったかのような表情豊かな笑顔や女性との態度に驚きだった。
はじめてみる父の姿だった。

母と男性との愚痴ばかりの関係とは真逆の様相だった。

母には父の再婚相手のことは私からは話していなかった。
どこから仕入れてくる情報なのか、父に女性がいると知るようになってからはその女性がどんな人なのかなど、どうにかして私から聞きたがる攻撃が始まった。
そして母は会ったことがないのにも関わらず女性に対して批判、非難、愚痴がいつものように始まる。
母は、娘が父の再婚相手を嫌って当然(どんな人であろうと)という思いがあったのだろう。
娘の口からその女性の悪口を聞きたがった。
あんなに父のことを邪険にし続け最後は不倫で自分が父を裏切り離婚したのに、まるで再婚相手を泥棒猫のように感じる思考は怖かった。

残念ながら母の思惑とは違い、女性は父のことをとても大事に考えてくれているのは明白で、娘からしたら「こんな父ですがよろしくお願いします」と心から思う方だった。
そのため母が聞きたがった悪口は全くないので話すこともなく、どんな人と聞かれれば「いい感じの女性」と私が話すので母はあまり聞かなくなっていった。

父が大切なパートナーと会えたことは心の底から良かったと思ったことは確かだ。

でも父を疎んじている気持ちは変わらなかった。だから話もほとんどしなかった。
披露宴をするので来てくれと父からそれだけ(詳細を知らずに)を聞いて某ホテルに行くと、大勢の人たちをよんでの盛大な披露宴でそれはそれは驚いた。
私は友人たちの結婚披露宴を何度も経験がある中で、2番目に盛大だった!
披露宴の内容も知らされずだったので、当日歌ありダンスあり披露宴会場はお祭り騒ぎの光景に妹とあっけに取られていた。
女性は数回ドレスをかえる(お色直し)という若い人たち顔負け、それ以上だった。
そして最後に娘二人から父と女性に花束贈呈してくれと司会者に突然裏でお願いされ、知らずに準備されていた素晴らしい花束を抱え、贈呈した。

父と女性の披露宴を行うセンスや趣味は私には全くわからないし理解できないことではあったが、二人が幸せそうだったので娘としては嬉しかった。

その女性は私たち子(娘)のことを何かと気にかけてくれていた。
実の娘のような関係性を望んでいるような感じだった。
ドラマを演じるようにあなたは母親、私は娘との配役を急に言い渡され
「はい、今から親子のお芝居スタート!」といった感じと書けば想像できるだろうか。

そして父もそのような態度を取るようにと私たちに迫った。
そもそも父と話しもしない親子関係であったのに、
愛する女性が望むことは全て叶えてあげたい気持ちからか、
今まで作れなかった親子関係をいきなり「今から仲良し家族」でよろしくという思いからか、
上っ面の擬似仲良し親子のような会話や態度を求められ戸惑った。

例えば女性を紹介された際から「(名前)◯◯さん」としていたのに、
父が結婚直後「これから◯◯さんのことはお母さんと呼びなさい」と言われた。
それほど話をしたこともなく、ただご挨拶程度だったのにもかかわらずの50歳代の女性の方に
いきなり「お母さん」と呼んで欲しいのか、そこに意味があるのかと驚いた。
「もっと甘えていろんなことを相談したりすれば可愛がってくれるからそうしなさい」とも言われた。
父は私たち娘のことをまるで中学生の思春期の年齢であるかのような態度のように見えた。
父に、こんな人格もあったのかとあまりの変わりようだった。

もちろん女性に嫌な気持ちは全くなく、逆に好感を持っているくらいだった。
ただもう20歳代で社会人である私はあっさりとした大人同士の関係になるものだと思っていた。

妹は「”お母さん”とよんであげれば二人がハッピーなんだったら、いくらでもよんであげる。
ただの名称と思えばイージーだ。そこに思いなんてものはまだ何も生まれていないのに、それでもただ上っ面だけで満足なのだろうから」
「深く考えたり悩んだりするほどのことじゃない。ただの名称だ」と私に話した。

これを聞いた時、さすが妹だなあと感心したことをよく覚えている。


後になって聞かされたのは、父は既に女性の籍に入り自分の姓を捨て女性の姓となっていたのだ。
だから女性とは義理のお母さんという意味もなかったということなのかな。



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# by akisaku1231 | 2019-04-04 21:49 | 私の生育、環境
母(強烈な性格?)の娘である私akira(おそらくadd)との関係 そして一人息子natsuki(add)との関係についてのブログ

by akisaku1231