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結婚



こんな私がパートナー( 夫)と出会えたのは偶然と幸運だったと思う。
年月を重ねれば重ねるほど増していく大好きな気持ち、
そして私と一緒に家族を作ってくれた一番大事な人だ(惚気です)。

子どもの頃から結婚について願望や希望は全くなかった。
学生時代の友人たちは結婚が決まった時「akiraは絶対結婚なんかしないって言ってたよね!」なんてからかってきたぐらいだ。
更に自分の子どもは作りたくないと思っていた。

夫と出会ってからは考え方が一変した。
結婚を決め、夫の子どもを産みたいと変化した。
自分の大切な家族を作りたいと心から思った。
子どもはできれば男の子がいいと望んだ。
母と私の関係、自分の性格生い立ちなどから、女の子の親になるなんて想像がつかなかったからだ。

出産するまでお腹の子が男女どちらなのかはドクターに一切聞かなかった。
そして生まれたのは待望の男の子だった。

結婚、退職、無職(専業主婦)、妊娠、出産と、生活スタイルが刻々と変化していった。
その中で自分は少しずつ強迫性障害(以前書いた)の行動をとるようになっていった。



結婚が決まってから夫の家族親戚など詳しく聞くことになり、私が育ってきた環境とは正反対だと知る。
母は結婚が決まったことはもちろん喜んでくれたが、そういう詳しい背景を知ると、おかしいほど舞い上がりまくった。
親戚中に自慢、なぜか自分の将来は安泰だと言わんばかりだった。
まるで自分の結婚相手が見つかったかのように見えた。

実家(親)が破綻している自分に結納や結婚式は必要なかったが、義両親がきちんとした方がいいとのことで行うことに決まった。
もちろん結納や結婚式など全てにおいて私側の金銭面は自分の貯金を使った。
母はお金のことは一切何も聞いてこなかったし、私もどれだけの金額になるのかも一切話さなかった。

結婚することになったと母に報告して以降、私に会うたび電話するたびにいった。
「離婚しちゃっててごめんね」
「離婚している親だと破談とかになったらどうしよう」
「ママのせいだわ。ごめんね」
「どうしよう、akiraちゃんがママの離婚のせいで破談になったら。ごめんね」
「でもねママ離婚した時、姓は元夫の姓のままにしておいたのよ。
この時のためにね。akiraちゃんと同じだからおかしくないでしょ(結婚式の時などで)。」
「ちゃんとママも考えていたのよ」

母は「ごめんね」を繰り返し言うたびに、母は私に「大丈夫だよ、そんなことない」と言わせたがった。
親が離婚していることを恥とも思っていないし、そもそも親のことは切り離した考えを持っている自分だった。
だから母がわざとらしくそう言ってくることが煩わしく嫌だった。
「親が離婚していることを気にする相手を自分は選ばないから」と冷たく言い放っても聞く耳も持たず、母は結婚式直前まで言い続けた。
結婚式に自分が出席できると確信を持ってからは全く言わなくなった。

結納は母が出席する(母の強い願い)ことになった。
母は自分が結婚する際、結納はしていないので結納の意味など全くわかっていなかったし、費用も一切私に聞くことはなかった。
いつも通り自分の着ていく服装ばかり気にしていた。
当日も母だけがハイテンションで一人で話しまくっていた。いつもの通りお上品なマダムを装い周囲がドン引きするようなことを言っていた。


こんな性格の私でも結婚式には父と母に出席してもらえたらと当初思っていた。
自分の視野の狭さや常識がない中、普通(ドラマや小説などから)親というものは娘のウエディング姿(結婚式)を見たいという気持ちを持つものだと思い込んでいたのだ。
父に結婚の報告しがてら式出席のことをお願いしてみると、母が出席することに激怒した。

「浮気した女、裏切って離婚した女が結婚式に出席するのは世間的におかしい」
「父のパートナー(再婚相手)がお前の母として出席するのが当然だ。そのように振る舞うのが子としての常識だ」
「パートナー(再婚相手)のことを母と思っていないのか」
「母親として振る舞うのはパートナーだけだ」
「母が出席する式なんて絶対に行かない」
「母の顔も見たくない」
「もし母が出席するなら自分は一切かかわらない(私の夫の親族と)」
「父か母を選べ。どちらかしかない」

当時の私はその頃にはもう母の性格に嫌気がさしていたが、それでもまだ母を見捨てるような気持ちには至っていなかった。
母の本性を理解していなくてまだまだ振り回されていた。
だから母がどうしても出席したいと泣きながら毎回話してくることに多少の同情心が残っていた。
母は「父や再婚相手がいても自分は構わない」「自分は末席でもいい」という悲劇のヒロインのように話す母。
そもそも父にひどいことをしたのは母なのに。
今思うと実際に母の言うとおりにしたら、父と再婚相手に対し周囲に「自分(母)が被害者、裏切ったのは父たち」という父と再婚相手を悪者にする雰囲気を作り出しただろう。今ならひどい式になったことは想像できる。

現在はまだマシになっているとは思うが、自分自身がそもそも常識などわかっていない、痛い人間の側だった。
今思い返すと(毎回書いているが)、以前の自分の言動、行動が恥ずかしくてならない。
自分の結婚式もそうだ。
そういう自分だった。
結婚式への思いも相当独りよがりだった(当時はそうは思っていなかった)と振り返る。

父からそのような態度を取られ、私は悲しかった。
一般常識とかはひとまず置いておいて、娘である自分の結婚式に親として(夫婦としては離婚していても)ひとめ見たいなあという気持ちを表して欲しかった。
例えば「娘の花嫁姿は見たいけど、やはり元妻には会いたくないから欠席する」でも全くよかったのだ。
親のことは自分とは切り離して考えていた自分なのに、こういう気持ちが残っていたのだ。
私も随分勝手な、甘ちゃんで未熟だったと思う。

父から、私の結婚が決まったことについて喜んでくれるという言葉や気持ちはなかった。
それよりも結婚式イベントについて母のことを話題にのぼらせることを口にしたことへの不快感、拒絶感がすごかった。

今振り返ると、それだけ母は父にひどいことをしたから、単純にもう二度と会いたくないという気持ちはわかる。


結局私は母を選び、父は一切かかわらなかった。
母を選んだのは間違いだったと思うし、両親欠席にする方法を選ぶべきだった。


結婚式までの月日はストレスからかどんどん体重が激減し体調が悪くなっていった。
休暇(新婚旅行)の行き先は海外を予定していたが体調が思わしくないため無理せず国内でゆっくりすることとなるほどだった。

親の離婚騒動に巻き込まれ、その後母の精神不安定に振り回されていた20歳代で初めて過呼吸となり救急車で搬送されること2回。
過呼吸という症状が出はじめていた、ストレスが原因だった。
それでも夫と付き合うようになり自分の心が安定しいたのでほとんど過呼吸を忘れていたのに、
結婚が決まって以降、体調不良とともにまた過呼吸の症状が出はじめる。

母の言動からによるストレスによるものと最近まで思っていたが、
この年齢になりやっと自分の許容量の狭さにも原因があったと思うようになってきた。
私の発達障害らしい?未熟な人格、性格から、一気に自分の生活や環境が変わること、人間関係が複雑になることのストレスも相応にあったと。



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by akisaku1231 | 2019-06-17 23:03 | 私の生育、環境
母(強烈な性格?)の娘である私akira(おそらくadd)との関係 そして一人息子natsuki(add)との関係についてのブログ

by akisaku1231