2019年 03月 09日
母と私と妹
母から大事にされてきたという思いももちろんある。
だから罪悪感にとらわれるとも言えるが。
貧乏の中で母は娘たちにお金をかけてくれていた。
母は進学したかったのに兄弟のために中卒で働かなければならなかったことで、
好奇心旺盛だった母が思春期のころたくさんのことを諦めてきたことは想像がつく。
母は社交的で器用で自己顕示欲が強いところからいい意味で負けず嫌いだったと思われ、やればなんでもでき成功したかもしれない。
その思いからか娘たちにやりたいこと(やりたくないことも)をやらせてもらえた(お金をかけてくれた)。
自分が今親になってみて思うが、なかなかできることではないと思う。
ありがたいことだったと思っている。
それでも私は自分が年齢を重ねれば重ねるほど母に感謝するという気持ちは薄くなる。
結婚し親になったら自分の親に感謝することが増えていくと聞くが、私は真逆だ、反比例だ。
これから時系列に綴ろうと思っているが、私が人生の節目を迎えるごとに母の態度は私を蝕んだ。
母が男性と関係がある日々の中で私が親戚から「母に対して冷たい」というようなことを言われたことは以前に書いた。
それから母が男性と別れ一人で暮らし働くようになったら母は私に自分のストレスをぶつけるようになった。
もう耐えられないようになった自分は母から愚痴を話されても、どうせ私の言葉は聞いていないのだからとスルーするようになった。
もちろん電話や会ったら話もきちんと聞いている。だけどアドバイスのかけ方などに悩むことをできるだけしないように自衛したということだ。
母はその私の対応がお気に召さなかったらしい。
遠い地で働いていた妹のところへ母と私と二人で行くことがたまにあった。
例えばその時のこと。
妹は社交的で人から好かれたくさんの友人たちがいる。
私たちが行くとパーティやら食事会などをしてくれ、たくさんの人たちが集まってくれる。
母はそういう場が大好きだし人見知りをしないので人の輪の中に入るのが得意だ。
母はそういう時にちょうどいい頃合いをみて、私に対し攻撃をしてくる(そのように受け取ってしまう)。
いろんな人に対して(わざと私がいるところで)
「最近ずっとakiraちゃんが私に冷たいのよ〜」
「全く反抗期がなくていい子だったのに今になって反抗期なのかしら。寂しくなっちゃう」
「ママに対してどうして悲しい態度なのかなあ」
「仕事や恋愛のことを聞いても何もママには話してくれないの〜」
などと母が「自分かわいそう」アピールを初対面の人や妹の友人たちにするのだ。
それが母の真骨頂で上手に表現する。
その場にいた妹の友人たちや係わりのある人たちは母の言うことを全て信じる。
当然だ、母が嘘を言う人には見えないし理由がないからだ。
そうなると私はどうこたえていいのかわからなくなる。
そもそもコミュニケーションが苦手だ。母や妹とは性格が真逆だからだ。
そういう時もお笑い?に変えたり、軽いジョークでかわしたりすればいいのに言葉が出てこない。
私が特に言い訳?をするでもかわすこともできないでいると、母は大満足だった。
その人たちは私に哀れみと諭すように
「もうちょっと大人になった方がいいかもねー」
「親孝行しておかないと後悔するときがくるから」
「素敵ないいお母さんなんだから大事にね」
などと言葉をかけてくる。私を思ってだ。
私のことは誰もわかるわけないと心の中で頑なになるだけしかなかった。
周囲にわかってもらおうとしたら、母からされたことを話さなければならない。
それを言ったとして信じてもらえないだろう。
表現も疎くただの悪口としか聞こえないだろう。
そして母が黙ってはいないだろう。
口では勝てないのだ。
ただ妹からはそういう場にいても特に言われたことはない。
そういうところは気持ちの押し付けをされたことがない、大人なのだ。
妹だったら、
きっとみんなの前で、軽いジョークのような言葉(だけど辛辣)を使い見事に母に切り返すことができる。
それを知っているから母も妹相手だと態度が違うのだ。
ここが妹と私の差だ。
妹は定型発達で頭の回転が早い。
強烈な母の人格にも振り回されることなく対処ができるのだ。
そして妹は母だけでなく人といい距離感を保つことができる。
だから母もそれなりに考えて行動言動しているから妹に対してはひどい態度を取らない。
対して私は愚鈍で(発達障害と思われ)表現が苦手だ。
私が幼少の頃より無意識(有意識?)かピタリと合ってしまうのか、母の思う通りにされてしまったし、なってしまった。
それは父がそうであったように。
父も私と似ているところを持った人だった(以前に父と母の関係は書いた)。
父はなぜ母と結婚したのかわからないが、人格的にお互い一緒になっては良くない二人だった。
お互い不幸にしかならない。実際そうだった。
そして母が原因となることで父は解放された。
でも私は母とは親子だ。逃げるという答えも思いつかなかった。
最初は母の性質に気付かず(鈍感、無関心)信じていた。
ここまで振り回されても自分からいい距離感を保ったり、離れることができなかった。
私がaddかもしれないと気が付いた頃から母との関係を振り返って考えてきた。
それは息子が小5の頃のことなので、私はもう40歳代だ。
学齢期のaddは精神年齢が実年齢よりも5歳くらいマイナスだと何かに書いてあった。
私はまさにそうだったのだと思う。5歳と言わずもっと実年齢よりも精神年齢が劣っている、今もだ。
それが原因かはわからないが、人生40歳代になってやっと母と自分の関係性が見えてきた感じだった。
母と私は気質的にも人格的にも近くに(一緒に)いてはお互い不幸になるものを持っていたのだ。
「お互い」というところがミソなのだと思う。
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by akisaku1231
| 2019-03-09 23:43
| 私の生育、環境

