2019年 01月 30日
強迫性障害(子育て)
妊娠出産後、生活スタイルが更に変化していく。
母との関係も、私の結婚後、更に母パワーが炸裂しており振り回されストレス倍増だった(別記する予定)。
誰でも初めての妊娠出産育児は自分の体の変化も含め新しい驚きの連続だ。
私だけではない。
色々な意味で不器用(変)な自分がそれを普通にこなすのは難しいことだった。
その当時は自分はノーマル、他の人と同じようにやっている、自分は正しいと思っていた。
振り返ると、残念なことばかりしていた。
病的に規定通りにしないとダメだと思い込んでいた。
別に間違いなことではないが赤ちゃん(人間)相手には普通感覚で大雑把な面もある方が余裕も生まれてくるのに。
今でこそそう思うができなかった。
例えば母乳をあげる時はお乳を清浄綿で綺麗にしてからあげると書かれてあり、毎回その通り、順番通りにしないとダメだった。
メーカーも最初に病院でもらった時と全く同じものでないとと思い込んだ。
オムツも少しでもおしっこラインがつくと替えなければだめと思い込んだ。
最初に習った通りにしないと赤ちゃんがどうにかなってしまうと心配恐怖に陥った。
入院中、母乳をどのくらいあげたのかミルクをどのくらい与えたかを記入する紙が渡されており、そこにはホチキス留めがしてあった。
出産して2、3日後にそのホチキスが取れているのがわかった。
もしかして赤ちゃんが飲み込んでしまったかもしれないという思いに囚われた。
今思えばそんなことはありえないのに。
看護師さんに何度も相談したが、みんな取り合ってくれなかった(当然だ)。
夜中授乳などで寝不足な中(みんな同じだが)、natsukiが苦しみ出したらどうしようという恐怖におそわれる。
夫に電話をかけて泣いて相談したり気が狂うのではないかと思うほどだった。
結局病院の心理面でサポートする係(看護師)とお話しする機会を設けてもらい、話を聞いてもらうことで多少落ち着いたが、
それでも疑いは晴れなかった。
退院した後も、この疑い(ホチキス飲み込み)から、寝ている最中にnatsukiが苦しんだらどうしようと心はぐるぐるだった。
妄想とおかしな精神状態だったのだと気づいたのはここ最近のことだ。
私の実家はもうなく、母とも疎遠にしたいし手伝ってもらいたくなかったので、夫婦二人で新生児時期を乗り越えることに決めていた。
当時自分の行動が一般的(常識)と思っていたことが、今思い出すと、あまりにも奇妙で、近寄ったらいけない人間すぎた自分が痛ましい。
思い出すのが辛くなるくらい、おかしい人間だった(いまでもそうだと思うが、昔よりは多少マシか)。
自分も恥ずかしいし、周囲の人にどれくらい迷惑をかけていたのだろうと嫌になるし自己嫌悪で苦しくなる。
産院から渡されたマニュアル通り育児をしていた。
夫も帰宅後は全力で手伝ってくれたので乗り越えられた。
3時間ごとの規定量のミルク、母乳、おしっこ、うんちの確認を手帳に毎回正確に詳細に記入。
ミルクを計量するスプーンは苦手だった。
自分で声に出して(書いたり)1杯、2杯、と言いながらやっても、お湯を入れた時点で「間違っていなかったかな?」と不安に陥る。
そして全て捨て、もう一回やり直す。
ひどい時は何度も。ミルク缶や清浄綿など異様に減るのが早かった。
後からこういう経験はよくあるみたいだと知った(雑誌など)が、その経験談を読んでも自分は別次元の異常さだった。
自分は回数も数えられない(覚えていられない)ばかな母親なんだと自己嫌悪だった。
新生児、乳児時代の外出も、神経質だった。
思い出すと自分の病的な異様行動はたくさんあり書ききれない。
それでもすくすくと育ってくれて、嬉しい限りだった。
寒くなる季節頃、鼻水を出し始めた(生後8ヶ月)。
熱もなく咳もそれほどなかったので様子を見ていたが、心配だったので初めて(予防注射以外で)風邪のために小児科に連れていった。
近所の小児科専門おじいちゃん先生がいる病院だ。予防注射でもお世話になっていたのでまずそこに連れていった。
おじいちゃん先生や年配の看護婦さんが「鼻水くらいで病院にきちゃダメよ〜。このくらい大丈夫、心配しすぎ」
と笑いながら、natsukiを可愛い可愛いとあやしてくれたのでホッとした。
その夜、どんどん鼻水や咳が多くなってきた。
心配性だと思われてまた笑われてもいいからと思い、翌朝一番で新しい小児科に連れていった。
先生は「すぐに入院施設(総合病院)に電話します。このまま病院にいけますか?」だった。
もうこの時点でパニックだった。
結果、RSウイルスによる肺炎を起こしていた。
初めての風邪が入院ということになってしまった。
でき得る限り育児書通り?きちんと守ってきたのに、どうして入院までひどくなってしまったのだろうと自分を責めた。
入院生活は24時間付き添えるところだったので、そうして過ごした。
実母が心配してお見舞いに来た。
小児病棟は当初一人部屋だったが、二人部屋に移り当初いた子が退院して新たに入院して来た子がきたときだった。
母「natsukiちゃん、こんなに小さいのに点滴に繋がれて痛そうでかわいそう。なんでこんなに(入院)させてしまったの?」
「かわいそうに。ちゃんとnatsukiのことを見てたの?」
「かわいそうに。お世話をきちんとしなきゃ。お願いだからね」
「二人子供育てたけど(私と妹)、入院なんかさせなかったけどね。病弱だったけど。」
その繰り返しを聞かされた。
そしてコソコソと小さな声で
母「お隣のベッドのあの子はどんな病気なの?」
私「〇〇病だって話してくれた」
母「え〜?〇〇病って、うつる病気だって前にテレビで見たことあるわよ。」
「今度こそ十分気をつけてあげてね。うつらないように」
私「〇〇病ってうつる病気じゃないはずだよ。そもそも、ここ病院だよ?」
「うつるっていうならnatsukiはRSウイルスによる肺炎だからそのお隣の子を心配すべきかもなんだよ」
「病院が同部屋にしているってことは大丈夫なんだと思うけど」
母「そんなこと知らないわよ。とにかくテレビでやっていたんだから本当よ。」
「気をつけなさい。natsukiのことよく見ててあげてね。〇〇病にうつったら一生大変になるわよ。かわいそうじゃないの」
と言って帰っていった。
母は初孫のnatsukiをとても可愛がってくれていたので、母なりの心配しての発言だったのだろう。
看病疲れと心配でいっぱいの娘に、こんなことを平気で言うのが母だった。
病室で寝泊りしている私は夫に電話で○○病のことを念のため調べてもらったら当然うつる病気でないと教えてくれた。
後で母にそのことについて話すと
「え?だって本当にテレビでやっていたもの。それを教えてあげたのよ。うつらなかったからよかったじゃない」だけだった。
natsukiの入院のことでの自己嫌悪と母との関係のストレスで自分は振り切れていたと思う。
0歳児での入院を経て、さらに強迫性障害に拍車がかかる。
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by akisaku1231
| 2019-01-30 21:59
| 強迫性障害

