2019年 01月 19日
父を見下げる母
母は父のことをばかにしていた。常に私に父の愚痴を言っていた。
母娘二人がいつも一緒にいて、父はひとりぼっちだった。
父は黙って一人でいつもテレビを見ていた。
そんな家庭だったが、意外にも家族で出かけることはあった。
キャンプ、ハイキング、プール、河原でバーベキューなどなど楽しかった思い出がある。
うわべだけ聞くと家族円満、仲良し家族の様相だ。
もし私が妹のように定型発達だったらこの家族はどうだったのだろう。
母に影響を受けることなく、自分で考え友人(他人)たちとコミュニケーションを取ることによって成長できたら、
母もここまで暴走すること、グチ悪口をいうこともできなかったのだろうか。
小学校高学年の時、「父親の職業について作文にまとめる」という宿題があった。
それまで父がどんな仕事をしているのか知らなかったし興味もなかった。
父は自分の会社、仕事内容について嬉しそうに話をたくさんしてくれたのをよく覚えている。
初めて聞く話ばかりで私も聞いていて楽しかった。
今まで母から聞いていた父の悪口内容とかけ離れていたのでびっくりだった。
会社のパンフレットなども用意してくれて、ばかな私でもよくわかるように説明してくれた。
今でもパンフレットの表紙を覚えている。
そんな時、母が父の前で私に言い始めた。
正確なセリフは忘れてしまったが内容はこうだ。
「万年「ヒラ社員」なくせに、嬉しそうに自慢して恥ずかしい。」
「同期の〇〇さんは係長、課長になっているのに、どうしてパパだけヒラのままなの?」
「人望がないよね」
「責任ある仕事ができてないんじゃないの?」
「失敗ばかりしているんじゃない?」
「昇進しないから安月給のままで自分が恥ずかしくないの?」
こんな内容だったと思う。
今でもその時の父の表情がみるみるうちに沈んでいくのを覚えている。
父は一言も言い返さなかった。
この時の自分の気持ちはどんなだったか文章を書いていて思い出そうとしてもあまり思い出せない。
当然、母の言うことを「言い過ぎだよ」なんて言うはずもなく、ただぼーっと聞いていたのだと思う。
父の悪口を聞かされていた私にとって、日常茶飯事の内容だ。
なのにその光景を覚えているのは、ぼーっとしている自分でも、無意識的に何か衝撃として記憶したのだろう。
でも結局母が全てだった私は父のことを仕事ができないんだと、さらに蔑むようになっていった。
父は(おそらく)平社員のまま昇進しなかったらしいが、高卒で就職した会社でずっと定年まで勤め上げた。
今思うと発達障害グレーらしいところがある父がよく42年も続けられたこと、尊敬している。
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by akisaku1231
| 2019-01-19 23:37
| 私の生育、環境

