2019年 01月 14日
母の強烈な自己愛
母の長所は、社交的、化粧、髪型も綺麗にし、服装もセンスがいいところだ。
家には、母一人で写っているブロマイドのような写真などが(母の自慢)大きく引き伸ばし額に入れて昔から飾ってあった。
授業参観、運動会、発表会、学校などに親がくると、すぐに「akiraのお母さん来た」と誰もがわかるほど目立ち、髪型、服装も奇抜だった。
母は手先が器用だった。
私が覚えている限りでは、母の習い事として、フランス刺繍、革製品、洋裁、編み物、パン教室、お菓子教室などに通っていた。
ただ通っているだけでなく、作っているものも相当な出来栄えのものだった。
手作りパン(お店で売っているような珍しいものからロールパンまで)、手作り洋菓子(雑誌に載っているような品々)がうちにおやつとしてあった。それはいつも美味しかった。
お稽古バッグやお弁当包などすべて手作り更に刺繍入りだった。
うちは貧乏だった。
子どもだった当時は、母から言われた通り裕福だと勘違いしていた。
自分にそういう意味での他人と比較するという発想がなかったように思う。
平屋の家で昭和時代の下流レベルだった。
その貧乏の中で、母は自分を綺麗に見せることや趣味については、お金を出し惜しみすることなく、綺麗なもの(高価)を揃えていた。
父以外の、私と妹に関すること(特に教育関係)も惜しみなくお金を出してくれた。
母は身の丈にあったうちの下流レベルが不満だった。
父の稼ぎが低いのが許せないようだった。
病的に上流階級に憧れがあったようだ。
自分は上流階級の生活をしていると見られたがっていた。
父の給料ほか金銭面など全てにおいて、母が管理していた。
父はお酒も飲めない、ギャンブルもしない、趣味もない、服装もこだわりがない、友達も少ない、遊び歩かないので、
お小遣いは相当少額に抑えられていたらしい。
父もそれで不満があったのかなかったのか、母におとなしく従っていた。
母が女帝として家の中で君臨していて、父の存在を打ち消していた家庭環境だった。
母は小さい頃から私に父の悪口ばかり、いつもいつも本当に毎日話していた。
母は中流以上の生活を望んでいた、夢を見ていたのだと思う。
母は中卒(戦前生まれ)だ。おそらく頭脳は普通レベルだと思う。
進学しなかったのは、兄弟が多く、母の父は小学校高学年の時に病気でなくなっていたため働くためだ。
中卒で働き、家にお金を入れ、自分より下の兄弟たちを高校まで入れ、兄弟全員で一番下の弟を唯一大学まで行かせた。
兄弟は仲が良く(喧嘩も多かった)、一番下の弟が大学までいったことが兄弟の誇りだったようだ。
小さい頃に何度か聞いたことがある。
母の性格がいろんな意味で強烈であることは、そんな環境(時代背景)だからか、と思っていた時期もあったが、
今では生まれ持った性格によるものがほとんど(100%ではない)だと考えている。
続く
by akisaku1231
| 2019-01-14 22:22
| 私の生育、環境

