2022年 07月 14日
不器用さ 発達性協調運動障害
ADHDの診断がおりた後、どうやってサポートできるかをネットで調べまくっていた時「これは」というのを見つけた。
ADHDと併存することがあるらしいという記述があるのもみつけた。
「発達性協調運動障害」
読んでみるとnatsukiに当てはまることばかりだった。
小さい頃から外遊びをできるだけしてきたし、本人も好きで走り回っていた。
家族もスポーツをするし、アウトドア派だ。
スポーツは小3から集団スポーツ(団体)、小5から個人スポーツ(団体)に参加していた。
(その後も中学、高校と体育会の部活を継続)
小学校のそのどちらのスポーツもフォームはキレイだと言われ期待されるのに、なぜか実力は?という具合だった。
練習を怠ることはないが、自主練は自らはしない程度の本人熱量。
練習不足かなと思っていた。
逆上がり(鉄棒)は低学年の頃から週末家族で度々校庭にて練習して、ようやく小5くらいでできるようになった。
縄跳びも苦手、ダンス?(リズム体操)も苦手という不器用な面があるのはわかっていた。
徒競走も、普通な走り方をしているのに、どこか推進力?がないような。
高学年になり、学校対抗スポーツがあり、それに向けて週末(約2ヶ月くらいだったか)子どもの練習に親が交代で指導や見守るというの行事があった。
お当番のとき一緒だったお母さんがスポーツインストラクターをされていた方だった。
息子がそのスポーツを練習している姿(他の子も)を見ながら、私が「以前から綺麗なフォームと言われるのだけど、威力が出ないんだよね」と話すと、そのお母さんがnatsukiを見てくれ「自分の体を使えていない。体幹が弱すぎるように見える。」と教えてくれた。
そして発達障害の診断結果と、そのお母さんの「体幹が弱い、体が使えていない」という言葉。
このような背景もあり、の、「発達性協調運動障害」を見つけ、合点がいった気がした。
だったら、その運動面の不器用さもサポートできないかと思い、ネットで調べて効果がありそうなことをリストアップして試していった。
まず始めたのが
1 「小さいトランポリン」を購入して家の中でそれをする。
2 「早朝ジョギング 4キロ」を家族3人で毎日(週7日雨の日以外全て)走る
3 「縄跳び 1000回」と「二重とび100回」ジョギング の後に続けてやる
4 柔軟体操
5 倒立、ブリッジ
これを小6の秋から始めた。
ADHDのことは診断がおりてから全てnatsukiには話してあり、このことも説明した。
きっと効果があるからと、natsukiだけじゃなく3人で一緒にやろうと話し、3人でやることを約束。
じゃないと本人だけではやりません。
平日は朝6時前に起床(とにかく絶対起床させます)。
そして上記の通りジョギング 、縄跳び、柔軟、倒立、ブリッジをします。
慣れるまでは親子共々大変だけど、習慣になってくれば大丈夫だった。
走るのはできても縄跳びに時間がかかった。
普通とび1000回はとにかく止まってもいいからすぐに続けて跳ぶことを重視。
すると普通とびは止まらずにできるように少しずつなっていった。
二重とびは最初1回しかできなかったのが、連続2回、5回、10回と少しずつ増えていった。
これももちろん100回分跳べるまで(最初は縄を踏んでも100回)。
中学生になってから、縄跳び二重跳びは連続80回くらいまでは成功するようになっていった。
できるようになってくると、後ろ跳びや交差跳びなど、自分で遊ぶようになっていった。
もちろん、普通の人が練習すればできることを1としたら100倍くらい練習しないとできないレベルだった。
それを100倍こなしてやっとできるようになった。
これを小学校生活、毎朝(土日も)続けた(更に中学3年間も)。
普通の人が生まれ持って備わっている程度の体幹まで備わったかどうかはわからないけど、本人の自信がついたことが何よりだった。
小学校のマラソン大会でも本人も納得のいく結果だった。
中学に入って体育会の部活に入部したので、朝練があった。
それでも、家での独自朝練メニュー(小学校からの)はそのまま継続し、朝練に行く前に親子で5キロジョギング、縄跳び、倒立、ブリッジ とそのほかに部活用の独自メニューを取り入れた。
テスト期間中も入試前も早朝親子ジョギングはやめなかった。
高校生になり部活の朝練の時間が早くなったため、natsukiは早朝ジョギングは終わりとなった。
中学ではテスト期間中でも続け、走っている最中に問題を出し答えを言うというのもやっていた(これは並走しながら問題を出す親がタイヘン)。
運動(体や手足を動かしながら)と一緒に、頭を使うことで、不器用なところのピントを合わせられればと思いながら。
これはテスト期間中のいっときだけです(親が無理)。
流石にnatsukiに速さでかないません。3人それぞれのペースで走ってました。
「発達性協調運動障害」このことをネットで見つけたことは親子にとってとてもプラスだった。
普通の人が簡単にできることを、自分は約100倍は練習しないとできない不器用さを持っていることを身をもって自覚したことも大きかったと思う。
でも100倍練習すれば、それに近づけることができることもわかったのだと思う。
そして運動面での不器用さを、本人の努力と継続することで自信をつけたことが、よかった。
もちろん何もかもできるようになったのではない。
やっていないことは普通の人が努力せずにできることも、できない状態のまま(今までと同じ)というのが現実。
始めたのが小学校6年という年齢、natsukiの性格、4年間弱にわたって3人で継続できる状況にあったこともたまたまラッキーだったのかもしれない。でも始めた時はこれがどのくらい続くか、効果があるのかなどはわからなかった。
効果など数字で出るものではないけど、親子3人で続けた時間はよかったと思う。
私たち夫婦はnatsukiが一緒に走らなくなった(朝練のため)けど、今でも毎日変わらず夫婦で走っている。
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by akisaku1231
| 2022-07-14 20:46
| 息子(小学校)
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2021年 12月 30日
(発達障害adhd)ゲームやスマホなどについて
テレビはnatsukiが1歳すぎに壊れてしまってから家にない状態で、小学校高学年頃に極小テレビを購入し現在に至る。
テレビよりも共有のパソコンでyoutubeやアニメ、映画を親と一緒に見たりしていた。
ゲーム機器等はnatsukiの性格からしてその世界にどっぷりハマり、抜け出せなくなりそうだったので家に一切ない。
高校からは親と共有のパソコンでダウンロード?したゲーム(親が管理)などはしていた。
スマホは高校1年の夏デビュー。
部活の連絡等でラインが必要だったからだ。
制限をかけて使用していた。
このようにゲームやスマホについては小中高の間は周囲に比べて相当厳しく制限をした。
精神年齢にも凹凸がある(実年齢に対してマイナス5年から10年くらい)ためだ。
例えば実年齢14歳時、natsukiは9歳前後の精神年齢の部分がある。
同学年14歳の子と精神年齢9歳前後の子が一緒に(スマホ)ラインやネット、ゲームなどしたら、精神年齢9歳前後のnatsukiはついていけないし、トラブルになる可能性が高いのではと不安、心配だった。。
natsukiが実年齢の子よりも内面が未熟な部分があるために、特にラインなどSNSを利用する際に、未熟な考え方や態度、言葉の不適切や稚拙、無用心、不器用、不注意になる可能性が考えられ、本人が悩んだり、他人を悩ませたりと、トラブルの元になるかもしれない。
精神年齢が実年齢よりも大幅にマイナスな部分がある場合、未熟な精神年齢に見合った時期、見合ったものを与えた方がいいと夫婦で決めた。
それは本人を守るためでもあるし、周囲の友人たち(定型発達)をも守るためでもあると考えた。
みんなが持って使っているものを、自分だけ持てず使えない状況はデメリットも多くあるのはわかっている。
それでも、それ以上のトラブル、デメリットが大きいと考え、周囲も本人も多感で成長著しい思春期において制限を貫こうと決めた。
natsukiは制限されてきたことに不満はたっぷりあっただろう。
なにせ、実年齢に見合った精神年齢も多分にあるのだから。
何度も家族で話し合った。
というより親がnatsukiを説得した、が正しいだろう。
ゲームやスマホなどについて判断した上記のような理由は全て正直にnatsukiに話している。
「そういう決断をした理由や説明してくれた話もわかるけど、それでもみんなが持っているから欲しい」とnatsuki。
当時クラスで持っていないのは一人くらい(高校でも厳しい制限をかけていたのはnatsukiだけだったそうだ)だった。
納得なんてしないだろうというのもわかっている(欲しい気持ちは痛いほどわかる)。
でも、natsukiにとってはその時期ではないと判断した。
小中高と、いい仲間に恵まれたのもあると思う。
友人たち周囲は、natsukiがスマホがないこと(高校では持ったけど制限が厳しい)、ライン、SNSやゲームができないことをかわいそうと同情してくれていた面もあったのか、natsukiの性格からか、持っていないこと(できないこと)で友人関係でのマイナス面はなかったらしい。
SNSなどのトラブルはそもそも持っていないことで(見ないで済むし、関わらなくて済む)、少ない。
高校ではスマホを持ったが相当厳しく制限をしていたからか、トラブルは聞いていない。
もちろん親が知らないことの方がほとんどだろう。
親からみただけでの判断しかしようがないが、スマホ(SNS)関係で不安定などの態度様子はなかった。
高校で初めてスマホデビューの際の約束をしたのは下記の通り。
親がいつでも見ていいこと(暗証番号も親公認)
不適切な使用をしたらすぐ利用できない期間を設ける
家での利用はリビングのみ
夜寝る時はリビングに置いておく
1日に利用した時間も共有し親がチェック
大学合格までこの約束は続いた。
18歳の大学入学とともに全ての制限を解除した。
実年齢18歳で、精神年齢13歳前後を内包だとして、みんながスマホを持ち始めた年齢(その当時)に近くなった。
やっとその年齢となり、見合った時期、見合ったものになったかなと判断(18歳の部分も多分にあるし)。
精神年齢の未熟部分は同じではあるので、心配ではあるのだけど、同学年のみんなが数年前に経験してきたことを、これからnatsukiが悩んだり失敗する経験をして成長することを見守っていく。
今のところ、natsuki自身寝る時スマホをそばに置かない方が心身にいいと思っているようだ。これもいつまで続くか分からないが。
ちなみに、うちには子ども部屋がない。
全てリビングで遊んだり勉強したりするしかない家です(親も子も)。
この考え方がいいとか正解とか全く思っていない。
たまたま、持っていないデメリットが少なかったらしいという偶然だったのか。
natsukiが持っていない使えないことへの不満葛藤は、思春期での性格形成にマイナスだった面も。
総じてどうだったか。
Natsukiも私akiraもadhdや他の疾患を抱えていると(私未判定)思っている。
natsukiが発達障害とわかってから、ネットでたくさん調べて(どのようにサポートしているかなど)、特に母親が書かれたブログやサイトなどをとても参考にさせてもらっている。。
夫婦で試行錯誤しながらの子育てについて、私たちが判断したことについてnatsukiにとってマイナスの面も多々あっただろう。
でもたくさん悩みながらnatsukiの特性や性格を考えた上で判断した。
グレーゾーンのADHDなので、支援やサポートもない中で、悩みまくって、、。
子育ては定型発達でさえも正解がない、発達グレーゾーンは、、
natsukiが生きていく中で、「楽しい、美しい」をたくさん感じてくれれば嬉しい。
後になって、natsukiに親の教育方針が嫌だったと言われようとも、夫婦二人でnatsukiにとっていいと考え抜いたことであるので、その責任は受け入れようと夫婦で覚悟を決め判断してきた。
思春期発達障害そして受験対応に疲れ果て、「もうどうでもいい」と思ったことも何度もあったけど、その度に夫婦どちらかが「夫婦で決めた初心に戻ろう」と相談しあっている。
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by akisaku1231
| 2021-12-30 13:30
| 息子(中学)
2021年 12月 26日
(友達関係や生活習慣)小学生の頃
Natsukiはプラモデル(戦闘機、戦艦、戦車)が大好きだ(特に小中高でハマっていた)。
20歳になった現在は全くしていないが。
作り方は大雑把。
丁寧な仕事をしない。
作れるのだが、完成するまでに飽きてしまう。
なので、後少しで完成のところくらいまでくると、新しいプラモデルに取り掛かるか、新しいプラモデルがなければ違う興味に移ってしまう。
だから家にあるのは中途半端なものばかりだ。
これも後から発達障害らしいのだろうと気づいた
ADDとわかるまでは、「きちんと最後までやろう」「一緒にやろう』と何度も声をかけたりしたが、反応なし。
わかってからも声をかける言葉や方法を変えて何度もトライしたが、変化なし。
大好きなものであるはずなのに、丁寧に扱わない=ほったらかしでもある。
プラモデルに色を吹き付ける器械?みたいなものも買ったりと、かなり道具も揃っている。
全て使いっぱなしで埃まみれの状態。
プラモデルを例に出しているが、その他たくさんこのような行動思考パターンが当てはまる。
人にも動物にも物にも執着しない。
というふうに大雑把に書いてみたが、
「執着」という言葉は微妙に違うような気もする。
「大事にしない」というのも違うような気もする。
嫌いなわけでもない。
普通の人が大好きな人や動物、物があったら大切(愛情)にするだろうというところがない(今のところ)。
好きなのに大事にしない←というように他人からは見える
もしかすると「大事にする」という考えや思いが考えられない(欠落?これから育つ?)のでは。
もしくは「natsukiの大事にする」という思いは他人とは全く違うものなのかも。
嫌いになったわけでもなく、壊したり捨てたりも一切しない。
やり方を間違えて作ってしまっても、全くイライラせず、そういうことはあまり気にしない。
こういうイライラしたりしないところはすごいなと思う。
大事にしないところは短所とも思えるが、見ようによってはこのような点(上記)もあるのですごい長所だと思う。
Natsukiは全般的にイライラや、汚い言葉も一切聞いたこともなく、物を投げたりする態度など取らない。
普通の人?が普通にできることが、できないことがあまりに多く、それが目立つnatsukiだけど、
短所も反対の面から考えると長所なのだと、一息つけるときに思うようにしている!
家族とはボードゲームをしてよく遊んだ。
小学校の頃、友人たちをたまに家に連れてきた時に後で思えば特徴的だと思ったこと。
4、5人の友達が家にきて遊ぶ時、うちにはゲームの類が一切ないので、遊ぶのはボードゲームやトランプ、将棋などになる。
そこでボードゲームを始めて和気藹々と遊んでいると、natsukiが急に立ち上がり何かを探して持ってくる。
「このゲーム面白いよ、これやろうよ」と言い出す。
まだ初めてから2周目くらいのボードゲームを途中でやめようと言い出す。
みんな楽しくなってきたところで、急に言い出すnatsukiに驚きながらも、しょうがなく違うゲームに移りながらも戸惑っている。
それを何度も繰り返す。
もちろん友人たちもnatsukiの要望に全て応えているわけではなく、それぞれにいろんな対応しながらも、natsukiを含めみんなで楽しく遊んでいる様子だった。
こんなnatsukiをみていて、親の私はハラハラしながら「そんな新たにゲームを持ってこないで、じっくりみんなと結末まで一つのゲームで遊びなよー」とか「そんなんじゃ、嫌われちゃうよー」とか心の中で思いながら見守っていたなあ。
家に来てくれたことが嬉しくて舞い上がっているnatsukiなのだと当初は思っていた。
こんなゲームもあるよとたくさん紹介したいのかとも思った。
でも何度もそういう機会を目にするたびにこれは何か普通の子どもと違うと感じることが多くなった。
衝動的に物事や態度をとってしまう(ADHDと判断されてからこれもそうなのだと思い出す)。
それから小学生の頃こんなことも多かった。
突拍子もないことを考えてやりだす。
例えば友人を家に連れてきて「これから自動車を作るんだ、一緒に」と言い出す。
私は「え?自動車?プラモデルのこと?」
「違う、本当に動かせる自動車、乗ることもできるように」という。
二人で色々と考えていて率先してnatsukiが話しているらしい。
板やら色々と集めてきて始めている。
でも結局、2、3回家にきてくれた友人もやがて来なくなる。
おそらく友人はnatsukiが幼児的な発想で言っているだけで実現的な能力を持っていないと判断したのだろう。
natsukiは本気なのだが、そもそも作れるはずもないものをやれると思ってしまう知力(IQ)だった。
そしてnatsukiも1週間2週間くらいでその熱は覚めて、やりっぱなしとなる。
生活習慣においても身につかない(小学校)。
朝起きるのが苦手(自分で起きることができない)
どの洋服を着るのかわからない
歯磨きをするという習慣がつかない
寝巻きに着替える習慣がわからない
洋服の片付けができない
=服を脱いだら脱ぎっぱなし
傘はなくす(帰りが雨でないと絶対に持って帰ってこない=なくす。今現在も)
ハンカチやティッシュなど持たせても無駄(何処かに消えるか、カバンの底でグチャグチャ)
大学入学してから、変化した部分がある。
唯一ファッションについて興味を急に持ったことだ。
自分で洋服を見たり買ったりするのが大好きになっている。
natsukiらしい独自のセンスで選んで着ている。
(ちなみに髪の色はある時は青色、次は紫色だったり金色だったりしている!)
だけどせっかくお気に入りで買った服も脱いだら脱ぎっぱなし(家中どこにでも散乱)。
Natsuki(が小学生高学年の頃)とは歳の離れた姪(当時5歳)が親なしで泊まりにきたことがあった。
その時、5歳の子がここまで一人でできるのかと目の当たりにして驚いた(定形発達)。
一人っ子のnatsukiしか知らなかったので。そうか、やはりnatsukihaは何か違うと感じることだった。
小さい頃からnatsukiは自分よりも小さい子と遊ぶのが上手だったし、好きだった。
きっとnatsukiの実年齢マイナス部分(例えば実年齢9歳でも知能は4歳だったとして)の子(4歳)たちと遊ぶのがあっていたのだろう。
例えば小学校3年時の定型発達の同学年と遊ぶ時に、natsukiは4歳レベルの知能部分であったならば、なかなか難しいことだったろうと。
発達が凸凹であるから、natsukiが4歳の知能と実年齢9歳(小3)の部分も含んでいたと思う。
そう思うと、本人にとっては無意識レベルでストレスを抱えての友人関係(同学年)もあったのかもしれない。
そして友人たちもnatsukiの言動に「?」と思うことが多々あったのではないかと思う(親だって「???!」ばかりなのだから)。
そういうのを抱えながら、友人関係でたくさん傷ついたり傷つけたりしながらの、貴重な経験を学ばせてもらってきたことだろう。
それにはいい友人たちに恵まれ、先生たちや学校(小中高は公立)にも恵まれ、ここまでこれたのだと思う。
親も、先生たちを含めみんなにたくさん助けてもらった。
とてもありがたいなあと振り返る。
つらつらと、思いつくままに書いてしまった。
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by akisaku1231
| 2021-12-26 22:22
| 息子(小学校)
2021年 10月 08日
WISC-Ⅳの予約(小5)
今まで「どこか普通と違う」と幼児の頃から感じていた不安が溢れそうになっていた私は、初めて小学校のスクールカウンセラーに予約をとった。
幼稚園小学校と、担任の先生たちは「特段何もない。問題ない」こればかりだった。
専門家に相談して聞いてもらいたかった。
私が神経質になりすぎてnatsukiのことを見誤っているのか、でもやはり何か違う。
答えが欲しかったし、成長と共に不安も膨れ上がっていて限界だった。
小学校に1ヶ月に数度来校するスクールカウンセラー、柔らかい感じの中に芯が通っているような、素敵な若い女性の先生でした。
1回目(1ヶ月に1回先生と面談)、まずは私の目線からのnatsukiのこと、私の感じたこと、不安なことを話し発達検査?をしてほしいことを話した。
2回目になると、先生と話すことで安心するような気持ちになった。
やっと言葉が通じる、私の感じたことを分かってもらえると感じた。
私が発達検査を望んでいるのは1回目で伝えた。
私の勉強不足で検査はテストのようなもので予約して受けられ結果もすぐでるものだと勝手に思っていた。
検査はとても繊細なものというのを、ゆっくりと時間をかけて、丁寧に伝えてくれた。
私の焦っていた心も少しずつ柔らかなものになっていくのを感じた。
先生は本当に必要があるかどうかを見極めてくれていたのだろう。
先生も実際にnatsukiの様子をクラスで観察したり、私の話と実際先生がみたnatsukiとをみてくれていた。
そしてそれから検査の予約を取りましょうという話になった。
この予約までの時間は私にとって大事だったと後から気づいた。
検査をどういうものとして捉えるか、
子どもにとって検査を受けるという心の負担は大丈夫か、
そして結果をどのようにみるのかというのを前もって少しずつ伝えてくれた。
natsukiの検査方法は、「WISC-Ⅳ」。
検査をしてくれる人は専門の先生二人が学校に来てくれるとのこと。
検査の先生方は、普段の授業中の勉強態度や様子、遊んでいる風景を1日中、見学観察し、最後に検査(テスト)を放課後に時間をかけてやることになる。
検査(テスト)は長時間になるので子どもに負担がかかるかもしれないこと。
また放課後、お教室に一人残って、知らない先生たちとテストをすることについてもnatsukiが納得して受けることも必要。
とも言われた。
結果は多角的な面から複数人で内容を精査し、結果を文章にまとめ、報告できるまで数ヶ月かかるかもなど、詳しく教えてくれた。
natsukiは11歳(小5)で受けた。
検査を受けてから約3ヶ月後、結果報告の日を迎え、夫と二人で療育センター(仮名)に向かった。
検査をしてくれた先生二人が、迎えてくれた。
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by akisaku1231
| 2021-10-08 00:01
| 息子(wisk4)
2021年 10月 07日
一回だけ学校に行きたくないと言った日
偏頭痛
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小学1年の3学期頃より、natsukiの偏頭痛が始まった。
小学1年の2月、3月夕方になると、2時間くらい頭が痛いと訴え寝込むことが多くなる。
その後は頻発することはなくなっていたので安心していたが、
小学2年の秋になりまた頻発することが多くなる。
学校から帰宅して友人たちと外で遊んで帰宅してから頭痛だったり、
学校の給食時間から頭痛がしていたが我慢し続けて帰宅してぐったりだったり。
土日の朝の頭痛(2時間くらいで治る)というのも出てきた。
元々、体が弱く、風邪も引きやすく発熱するとすぐに40度になってしまう体質だ。
アレルギーも持っている。
目に先天性疾患があり定期的に検査通院している。
頭痛が頻発するので心配になり原因を調べた。
脳のMRIは問題なし。
あとは目による頭痛、検査で通っている病院の先生にも相談すると脳に問題なしなら目の疾患からくるものだろうとのこと。
あとは精神的なものも多いとのこと。
偏頭痛は変わらず頻発し、頭痛の時間も長くなっていった。
始まると何もできず布団で寝て治るのを待つしかない。
痛みも増し、頭痛時間も最初は2、3時間で治っていたのが、半日、1日と長くなる日も出てきた(短時間で済む日もあったりとまちまちに)。
小学1年3学期から始まり、どんどんひどくなっていき、やっと高校3年くらいから頻度が少なくなっていったが卒業まで続いた。
大学入学してからは時々偏頭痛で寝込んでいるが、回数は減っている。
振り返ると一番多かったし酷かったのは小中高。
身体的成長期でもあり、また精神面でも成長期であったからか。
それとも個体的に持って生まれたものなのか。
幼稚園、小、中、高校と、学校生活や友人関係、部活の人間関係、担任の先生、顧問の先生など、愚痴や悪口?悩みなどnatsukiから一切聞いたことがない。
友人のことを褒めたり、部活動での先輩同期後輩の活躍はよく聞いた。
でも、自分が誰かを嫌い、苦手、(先生のことも)などの話は今まで聞いたことがない。
natsukiが天使のようないい子だと言いたいわけではない。
もちろん友人には言っていたりしたのかもしれないが、家では聞かなかったという話。
息子一人しか育てていないのでその辺りはわからない。
いま思うと、そういったネガティブな面を表現できなかった部分が偏頭痛(体調)に繋がっていたかもしれない(可能性として)。
そもそも言語表現が苦手だ。
偏頭痛は酷くなる一方だったが、学校は今まで風邪など発熱、疾病、起き上がれないほどの頭痛以外は休むことはなかった、ただ一回を除いて。
その1回とは小3の運動会1週間前の金曜日。
その金曜日の朝、普段通り学校の準備をしている時、突然「学校行きたくない」と言った。
びっくりした私は「何かあった?」と聞いても「何もないけど、行かない」と。
理由を聞いても全く言わず、何を言っても頑なに行きたがらなかった。
頭が痛いわけでもない。
Natsukiのそんな言動は初めてで、とにかくどう対応するのがベストなのか頭がぐるぐるだった。
理由を聞いても答えてくれないのにも参った。
こんなことを初めて言ったからには相当な勇気が必要だっただろう、だったら理由なんか言わなくても休ませようか。
理由は特になくずる休みしたい時だってあるだろう。
でも態度から理由はありそうだ。
無理やり連れて行く事はよくないだろう。
でももしこのまま行かなくなってしまったらどうしよう。
どれも答えが出なかった。
結局、朝、学校に連絡を入れて、この状態のことをそのまま伝えてどうしたらいいか相談した。
そうしたら、「無理やりではなく、もし学校まで来れるのだったらお母さんとゆっくり来て、教室が嫌だったら保健室に遊びに来てみて。もし無理だったらお休みしましょう」と言われた。
それをnatsukiに伝えても、「行かない」だった。
判断に迷いに迷って、学校までまずはお散歩がてら行ってみようと何とか説得した。
校門まではゆっくりと二人で歩いて行った(もう授業は始まっている頃、通学路に子どもは誰もいない)。
校門前までくると、natsukiの足がピタッと止まった。
そこから動かない=動けない?natsuki。
その光景は今だに忘れられない。
時間をかけてnatsukiとゆっくりその場で話をしたがダメそうだった。
このまま帰ろうか迷った。
学校に朝連絡を入れた際、とても優しい声の保健室の先生(それまで会ったことがなかった)だったので、
「ここまで来れたよ」というのを伝えてみようと話すと、「それだけならいいよ」とやっと言ってくれた。
動かなかった校門前から一歩踏み出してくれた。
敷地内に入り学校のインターホンで話をしたところ、すぐに保健室の先生が昇降口前まで出迎えてくれるという。
Natsukiにそのことを話し昇降口の手前まで歩いて行った。
優しい微笑みを浮かべながら走ってきてくれた。
初めて会う保健室の先生のたたずまいは優しさに満ち溢れている人だった。
「よく来れたね。すごいね。せっかくここまで来れたから、教室が嫌だったら、保健室行かないかな?」と明るい声で話しかけてくれた。
natsukiは首を振った。
「そっか、今日はお母さんとこれで帰るのがいいかな」
「お母さん大丈夫ですよ」
「また来週ね。待ってるよ」
私にとって朝からどう対処したらいいのか不安がはちきれんばかりで学校まで来て、保健室の先生が駆け寄ってきてくれて、たったこの会話だけだったのに、すごくほっとして涙が出そうだった。
私が先生に助けてもらった。
この一瞬の出来事で、不安だらけだった親を落ち着かせてもらえた。
そしてnatsukiと家に帰った。
本当によく覚えている。
帰り道は私は先生と会えてほんわかした気持ちをもらい、何故だかこれで大丈夫みたいな気持ちになれた。
行きと全く違った心持ちだった。
きっとnatsukiにも雰囲気で感じたのかもしれない。
更にゆっくりと帰っている途中、
natsukiがひとことだけ話してくれた。
「隣の女の子が嫌のことを言うんだ」と、このひとことだけ。
どんな言葉?とか、どんな感じ?とか、名前は?といろいろ聞いても、それ以上このことについては全く何も一言も話してくれなかった。
嫌なことはどれくらい言われ続けているのか、それとも「ひとこと」だけ言われただけなのか、集団なのか、一人なのか。
全くわからない。
それでも声に出して言ってくれたことが嬉しかった。
帰宅後は覚えていないが明るく家で遊んでいたのだと思う。
そして週明けの月曜日、私の頭は学校に行きたがらなかったらどうしようとそればかりだった。
それでも何事もなかったかのように普通な態度で朝の準備をしていると、
natsukiも何事もなかったかのように(みえる)学校に行った。
その1日だけだった。
あとで担任の先生と話した時、「トラブルなど聞いていないし、普通ですよ。楽しそうですよ」だった。
担任の先生にはnatsukiが言っていたことの半分「女の子から嫌のことを言われたらしい」というのが理由だったみたいです、とだけ話した。
「隣の」という言葉は省略した。
隣の席の子は誰ですかとも聞かなかった。
もし今後またnatsukiに変化があったときは、誰から何を言われたのか、もしくはnatsukiも女の子に嫌なことをしているかもしれない、トラブルかもしれない、など、解決方法を探すために原因特定すればいいと思った。
保健室の先生にもご挨拶したが「大丈夫そうで安心しました。今後も気をつけて見守りますね」だった。
そしてちょうど1週間後運動会があったので、様子を見ることができたが、楽しそうにしていた(そうみえた)ので少しほっとした。
たった1日のことだったけど、あの日のことは忘れられない。
あの表情、校門の前で足が前に進まない、昇降口の中に絶対に入らない。
その体や表情の硬直具合は、それ以上進んだら命の危険があるような動物的な何か、のように感じた。
言葉で表現できないnatsukiだから余計にそう感じたのかもしれない。
この1日の私の判断(学校まで行ったこと)はnatsukiにとって間違っていたかもしれない。
どんな原因だったかもわからない。
たった1日のことを鮮明に覚えている(いろんなことを忘れてしまう私なのに)のは、
natsukiの性格からこの出来事は、その前もこの後も同じようなことが起こらないほど、異様だったからだ。
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by akisaku1231
| 2021-10-07 11:39
| 息子(小学校)